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izaneの運営するイラストサイトDream*Dropsのブログ。Dream*Drops*Diary、略してD*D*D。サークル情報、参加イベント情報、ギャラリー出展情報などを宣伝するところ。普通の日記もある、かも、ね。
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先日31日名古屋へ食い倒れに行ってきました。
否、イントラートさんでやっていた「呼吸展」の様子を見に行ってきました。


相変わらずケチケチ作戦で、近鉄急行を乗り継いで名古屋へ。
そのまま栄に出て、「名古屋定食」なるものを食べた。

きしめん!みそかつ!てんむす!

いいね素晴らしいね名古屋好きだよ名古屋。

そしてイントラートさんへ。

いろいろな呼吸を感じました。
この人いいなぁと思ったのがいくつかあったのですが、お名前忘れてしまいました・・メモしとけばよかった。

ただ、Haijiさんのキリンのポストカードを買いました。
Haijiさん、どこかで見たことある気がする・・と思ったら、昨年のTwitter展でご一緒させていただいてたではありませんか!Twitter展ではどんな作品を出していらっしゃったか覚えてないのが悔やまれます・・(交流会にはいらっしゃってなかったですよね・・?


イントラートさんで、少し残念なこともありました。
せっかくブログで宣伝しておいたのに、ポストカードを設置し忘れられて増した・・orz
まぁ、50人近い作家の作品を展示していたら、ポストカード数枚とか見落とされてもおかしくないですが・・
一瞬心の中で(完売・・!?)と思った痛い気持ちを返してください 笑

「呼吸展」終了後もポストカードは置いておかせていただこうと思っているので、ぜひピンときたら買ってくださいにゃ。


さて、イントラートさんを出てからはコメダへ。
ミニシロノワールとクリームコーヒーを堪能してきました。

その後夜になってから某イベントでお友達になったあるすさんと、そのダーリンるるさんと合流し、世界のやまちゃんへ!
手羽先をたらふく食べて満足しました。


いやほんと、名古屋メシは好きです。大阪人ですが、粉もんより好きです。
一日で名古屋を大満喫してきました。えへえへ。



次回、名古屋へはクリエイターズマーケット初日の6月30日に参ろうと思います!

そうです。決まってしまったんですクリエイターズマーケット!!

ミニブースですが、初心者なりに精一杯素敵な空間を作ろうと思いますので、生暖かく見守っていただけたらと思います。

そんな感じ。

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「帯をギュッとね!」という漫画のタイトルにもじったんですが果たして何人の人が気づいてくれたことやら。


さてさて・・

新年になりもうはや3ヶ月。まもなく新年度が訪れようとしています。
今年はもう少しゆっくりじっくり描こうと思っていたのだけれど、相変わらず自分で自分の首を絞めるのが好きなようで、まだ応募しかしてないけれど、十中八九受かるから、そしたら、この夏、怒涛の出展地獄・・いや、天国がおとずれます。


正式なことは確定してからまた書きますが、とりあえず、


クリエイターズマーケットに応募したった・・!

ふおおぉぉ・・!
右も左もわからぬまま、とりあえずミニブースで、展示用パネル1枚とテーブル1つをレンタルしました。明日入金にいくよ!

諸々の物品費込みで13000円・・
コミケ高ぇー!とは言ってられませんね(まぁ、あれは小さな机半分の敷地だから、クリマのほうがお徳ではあるのかな?

ちなみに土曜日だけの参戦となります。



もう一つは、昨年「タツコン」でお世話になったギャラリー龍屋様主催の「Tシャツ&ポストカード展」

どうしよっかなーポストカード最低7種類かーきっついなークリマ終わってまもなくだもんなー制作期間かぶるよなーTシャツは作れないから考えないとしてーえーっとー

えーっとー、で、ダブル出展決めました(ォィ


定員近づいてる!やべぇっ!っと思ったタイミングで、友人のおみかんが服飾作りを楽しそうにはじめられたのを見て、私もなんか、なんか、裁縫とか苦手だけど、なんかちょっとこう、プリント系のTシャツじゃなくて、改造した感じのTシャツ作りたいなっとか思ったりして、して、して・・・


うをおおぅやってやろうじゃねーのコンチキショー!ってところです。
(興奮すると岡田あーみん口調になることがありますご了承下さい)


まぁ、6月末のクリマまでは今のところ何の予定もないので、じっくり作品を考えながら一つずつ造って生きたいと思います。

生きたいと、思います。

・・まじで鬱なんだよぅぅぉおぅ・・

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昨日、「人生とお薬とシモネタについて語る会」と称した飲み会があった。
高専時代の友人ら3人とわたしと。


わたしの結婚式以来に集結したメンバーだった。
だいたいの話は、学生時代の思い出話と、今誰がどうなっただのという話で始まり

結局「お薬」についてはあまり語られなかった。(単に、4人のうち2人が製薬会社に努めてて仕事の話をしたかっただけらしい)

「シモネタ」については、まぁ、何も言うまい。酒の場である。

「人生」については色々と語った。
人生、というか、「幸せ」と「生きる意味」だ。

4人の中で、特にわたしともう一人が熱く語り合った。
お酒が入っていたから、半ば適当な受け答えもしたかもしれない。

ただ、少し書き記しておきたかったのでここに書く。



「何のために生きているのか」

という問いに対して、だいたいの人は「幸せになるため」と答えるか、「生きている目的なんてないのだ」と答える。少なくとも私の周りの人間はそうだった。

私はキリスト教派の意見をもっている(カトリックやプロテスタントではないが)

熱く語り合った相手Jは、自らを「仏教者」と呼んでいた。仏教徒ではないが、文学的に仏教が一番理解できるとかなんとか、言っていた。

Jが言った話の中で、非常に理解できる点が一つあった。

「自分で自らに価値をつけずに、何かに評価を求めてそれを自らに付随させることで価値を見出している人は、悲しい」

これは全くその通りである。
奇しくも私は十代の頃はがり勉のがっちがちの真面目っ子だったので、その「悲しい」人間だったのだが、今は「人生超楽しー!」なよくも悪くもパッパラパーな人間になったので、本当にそう思った。


自分に価値がないと思い込む。
何かに価値を求める。
何かとは、「学歴」や「名誉」だ。

勉強が嫌いなのに、学校が嫌いなのに、実験が嫌いなのに、わざわざ大学院まで言ってストレスを溜め込んでる人がいる。日本トップ3の国立大学の大学院を卒業すれば、「○○大卒」ということにしがみついて、それを自分の価値とする。自分に価値がついたことに安心する。
しかし、その先のビジョンは特にない。良い大学院を出たら、それなりの会社に行けるだろう。だが、それは自分がしたいことではない。したいことでもないのに、おまけにストレスしかたまらないのに、「今○○の件を任されてるから」とか、そのうち「後輩や部下がいるから簡単には辞められないよ」とかいって、ずるずる仕事をする。世界という広い視野で見たら何の役にもなっていない、会社の中でさえただのコマにすぎない。それでも、自らに価値をつくるために頑張る人は、悲しいかな、いるのだ。

わたしもそうだった。
あまりにも無価値な人間に思えてしょうがなくて、教科書を理解する程度には頭はあったから、バカみたいに勉強して、クラストップになって、「すごいね」「頭いいね」「勉強教えてよ」って言われることで自らの存在を作っていた頃があった。
もっと遊べばよかったのに、まるごと背負い込んで処理しようとするから、非効率で、いくら成績が良くてもそういう人間はバカだと思う。

成績がいいからなんなんだと。
いいとこの大学卒業したからなんなんだと。
楽しくもないのに、たいした役にもたたないのに、任された仕事があるからってだけで仕事を続けて何になるんだと。


もちろん、何も悪いことではない。
ある程度社会人として会社で責任を果たすのは当たり前だし、良い大学出れたらそれに越したことはないし、成績が良いのが悪いとは言わない。

ただ、それがどうした、と。


Jは、自分のしたいことをして生きている。今もこの先も自分の好きなように生きようとしている。一度限りの人生、楽しくなくてどうする。自分の価値は自分でつける。何かに価値は求めない。自分のはかりで生きていく。

「幸せになるために生きている」という人でも、Jくらい潔く生きている人は少ないと思う。


私は、高専4年の後半から、いいかげんがり勉だけではやってけないくらい授業にいささかついていけなくなり、ぷつーんと何かが切れて、そこから真面目キャラは捨てた。それでも、その歳まで真面目で生きてきたわたしは、気楽に生きれるようになった反面、何のために生きてるのかをなおさら考えずにはおれなくなった。

しかし、去年のちょうど今頃、私はキリスト教に出会ってしまい、考え方が一変して、生きてる意味も幸せもどう生きるかも見つかった。


その前に、Jの考えを書こう。

人間一人一人に価値などない。自分の価値は自分でつけるもの。人類やこの世の始まりなんていうのは考えるものでもなく、ただただ偶然できあがったものであり、神でも科学でも説明できなくて結構。今を楽しく生きる。人生は一度きり。


対する私はこうだ。

私の考えは、どうしても信仰というものが入ってくるので、無宗教の人には理解しがたいと思うが(私も、キリスト教に出会い初めは半信半疑だった)
私自身は人間一人一人に価値はないと思うが、神は平等に人間を大切だと思っていらっしゃる。この世の始まりは神(まず、なぜ宇宙、地球、人類ができたのかと考えないでいられるのか。人間一人一人の人生とは何かを考えるのと同じくらい、この世界の始まりについても考えるべきだと思う)神に近づき、神に祈ることで、全ての人が幸せになる。いつかかならず楽園がおとずれる。その楽園で、人々は復活する。

そもそもわたしがキリスト教を本格的に支持しようと思ったのは、
人間一人一人はどう考えても無価値であり、たとえ誰かの命の恩人になったところで、例え、世界的に有名なミュージシャンが世界の何千人かの心を癒したところで、超金持ちが被災地に膨大な資金をあげてみせたところで、世界の全人口を物質的にも精神的にも幸せにすることなんてできない、と思ったところからはじまる。
でも、誰でも、精神のいかれてる人や凶悪犯でもないかぎり、大体の人が、「世界中が平和になりますように」と言ってるものなのだ。平和を祈らなくても、「ああ、あの被災地の人たちはかわいそうだな」とか思ったりしてるもんなのだ。なんの寄付もしていなくても。

そんなとき、

「あぁ、もうこれはこの世を造った神に祈るしかない」

と私は思ったのだ。

今は悪い世の中だけれど、必ず良い世界に、アダムとイブが作られたときのようなエデンの園のような世界にもう一度ならせると神がいうのなら、今生きてる人々は、その世界がくるように祈るしかないのだ。

もちろん、ただ祈るだけではだめだ。どのように生きていくべきかは、聖書に書かれていて、それに従って生き、祈らなくてはいけない。
とても宗教くさく聞こえて、宗教嫌いな人にはとてもじゃないけどうけいれられないだろうけど、ともかく、私の考える人の生きる意味は「祈ること」なのだ。

わたしは、自分が満足に生きれただけで、それが人生だとは理解できなかった。

「幸せになるために生きるんだ」と言われても、わたしが幸せになったところで、人間としての生きる意味は何なのかと言いたくなるのだ。

おまけに、そのセリフは、ある程度生活が満たされている人が言えるもんだとおもう。

飢餓や疫病に苦しんでいる、アフリカの貧しい人たちに対して、「幸せになるために生きるんですよ」って、言えるか?

なにも私は、善人ぶるつもりはない。むしろ、どこにも寄付なんぞせずに、とても自己中に「私毎日超楽しい!」って言って生きてる人間だ。「今月給料少なくてさー」とか言いながらも、十分毎日パソコンしたりごはん食べたり絵を描いたり服を買ったりできる生活をしている。

しかしだ。「幸せになるために生きる」というのが、世界中の人々の生きる目的にはなりえないと言いたいのだ。

だから私は、生きている理由がわからなかった。
比較的平和な日本で平々凡々生きているだけで、その目的がわからなかった。

「祈ること」は、世界中のあらゆる人ができることだ。

生きる目的は、「この世が再び楽園となるように、全ての人々が平和に安心して生きることができるように、祈ること。そして、それがどんだけ重要なことかを、できるだけ多くの人にふれ告げること」だ。



Jは言った。
キリスト教は、神に救済を求めている。仏教は、自分で自分を救済する。


確かに救済を求めている。一日も早くこの悪い世界が終わって平和がおとずれますようにと祈っている。
しかし、自分一人の平和を神に求めているわけではない。


仏教とキリスト教では、根本的に考え方が違うので理解し得ない部分は大きいと思う。

ただ、そういう考え方でしか、「生きる意味」についての答えはでないと思う。

そうそう、Jは「答えなんてない」とも言ったっけ。


私は言いたい。「答えはある。人間がそれに気づいていないだけで、出会っていないだけで、答えはある」


まぁ、だからと言って、私は聖書に従って毎日完璧に生きてるわけではないけれど。
そんな大口たたけるだけの知識も何もないけれど。

ものすごいだらだらと無駄なことを書いただけかもしれないけれど。

そしてJさん、Jさんの意見を私が聞き間違えて書いていたらすみません、訂正してください。



ただ、どうしても言いたかったのです。

「何のために生きているのか」

それを考えて、考えて、考えて、何かを見つけてほしい。全ての人に。
広い視野で、考えてみてほしい。

何かみつけた答えが神の言葉であればこの上ないけれど。

私の意見が違うというなら、どうか私に教えてください。生きる意味。
私は見つけたつもりでこれから生きていくけれど、正しいかどうかなんて結局は誰にもわからないことであって、神がいるかいないかを、目で確認することはできないから、どれほど聖書が科学的にも正しくてつじつまが合っていようと、何かをたたきつけて「ほらね!」って言うことはできないことで、信仰ってものに依存しちゃうから


ただ、私の考えを言いたかった。

いろいろと、頭の中を整理したかった。

ただ、わたしは、生きる目的を持って、生きていきたいだけなのです。

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こんばんわizaneです。
本当なら「その2」として白展の感想を書きたかったんですが、「その2」の前に番外編です。


年末年始は忙しくて、なっかなかブログを書けませんでした。

年末、主に年賀状、年賀状、年賀状・・・
まだ終わってない現状ですが、もうここまできたら何日遅れても一緒でしょう(ぇ
出さなきゃいけないところには出したからOK。
今年こそ文明の利器を使ってやろうと思った矢先にプリンターがぶっ壊れ、30枚弱を手描き。しかしそこは腐っても絵描き。同じ作品は二つと作りたくない。そのためにデザインをいちいち考える。必然的に膨大な時間がかかる。・・・orz

28日は旦那とその友人2人がやってきて鍋パ→モノポリー
29日はモノポリー→旦那の実家へ
30日は旦那の実家で餅つき
31日は夕方まで用事→おせち作り
ごまめを作ってるところで年越してることに気づく始末。
1日はいなか(徳島)へ
2日は徳島ぶらぶら
3日はおばあさん孝行して帰阪
4日は洗濯と年賀状
今日から仕事


そんなわけでした。

ちなみにこちらが年賀状(抜粋)
年賀状

辰子さんです。
辰年なので。
辰子さんです。
女性ではありませんが。
辰子さんです。
男性でもありません。
辰子さんです。
辰です。

さすがに上司や親戚方にこれを送る勇気はまだなかったので、無難にかわいくタツノオトシゴを描いたけどね。



そしてこちらがおせち。
おせち1

どーん!
昆布巻き・鯛の子・棒鱈・八幡巻き・黒豆・千枚漬け
以外は作りました。
煮しめ×4、酢の物×3、ごまめ、出し巻き卵。この辺は作りました。

初めてにしてはそこそこ頑張ったと思うよ・・
来年は黒豆と棒鱈にチャレンジしてみたいと思います・・!


ついでに、煮しめがあまりまくったので、ミニお重にも詰めてみた。
おせち2

煮しめ三段重 笑

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2011年もまもなく終わろうとしております皆様こんばんわizaneです。

現在、年賀状も終わらぬまま目下おせち作り中です。が、コンロが二つしかないので、小芋炊いてるのはいいけど、次の煮しめやる前に酢蓮作りたいのにできないので、休憩。順番ミスった。


年末にかけて、愛知県の2つのギャラリーで出展させていただいておりました。

一つは、愛知県は旭尾張市にありますギャラリー龍屋さんで行われていた、投票アリのグループ展、「タツコン2011」

ギャラリー代表の吉田さんには大変お世話になりました。この場で改めて御礼申し上げます。ありがとうございました!そしてお疲れ様でした・・・!


出展作家数は90人。
ギャラリーに訪れた方々による投票で優勝から20位までの入賞作家が選ばれるのですが、生憎わたしは選ばれませんでした。
しかし、テーマ「日本」という中で、自分なりにこの1年で最も力を入れた一作品ができたので良かったと思います。


わたしの作品はこちら。
いろはうた

タイトル「いろはうた」

--------------------------
うつくしい花もいつかは散りゆき
この世は諸業無常
夢なんて見ないわ むなしいだけだもの

――それは本当?
「終わりがあるから美しい」なんて誰が言ったの

平和と幸せが定めのない時まで続くとき
花は常に咲きほこり
悲しみの涙は消える

わたしはそんな世界がくることを知っているの
おそれないで 前を向いて

幸せな世界は
すぐ そこに。

--------------------------


「日本」というテーマは、色々悩まされました。
抽象的なテーマより、明確なテーマの方が私は苦手なのかしら。
あれにしようかこれにしようか考えつつ、ギリギリまでぱっとしなかったのですが、最終的に気に入る形にできました。

日本っていうと、ひらがなというこの独特な形の文字がいいんじゃないかと。
この、丸みがあって優しい感じの文字は、デザインのひとつとして取り入れられると考えたのでした。

そこからいろは歌について調べていくと、諸行無常を歌っている歌であることを知り。

しかしわたしは信条上、諸行無常の考えは持ちたくない(というか持てない)
むしろ、諸行無常を訴える人々の多い日本において、近い未来に必ずこの地上が楽園になるという希望を持って生きているので、
作品の中央に、輝かしい確かな未来を見つめるまなざしを描きつつ、その背景に、いろは歌の情景を描きました。

「いろはにほへとちりぬるを」と、美しい花も散っていくけれど、という諸行無常の表現に対して、散ることのない花を、まなざしのそばに添えて。

あと、いろはうたには、7文字ずつ並べたときの最後の文字を順に読むと、「とかなくてしす」つまり「咎なくて死す」となり、冤罪で死刑に処された人が、妻に宛てて書いた遺書という説があるそうで、あえて文字を7文字ずつ並べ、最後の文字を血に染める演出をしてみたり、背景に嘆き悲しみ諸行無常を感じる昔のその妻(女)を描いたりしました。

さらに、梅の形の和紙を飾ったりして、日本らしさをかもし出しつつ。

何気に、非常に多くの意味を込めた作品なのでした。





さて、タツコンについて。

23日に行ってきました。
近鉄電車の特急を使わず、乗車券のみで行くというケチっぷりを発揮しながら。

名鉄瀬戸線、ってことで、名古屋駅に着いてから名鉄の乗り場に行くと、瀬戸線の文字も、最寄り駅の「三郷駅」の文字もない。

これはどういうこったいと駅員に尋ねると、「瀬戸線は栄から出てるので、地下鉄でまず栄まで行ってくださいー。名古屋駅にはつながってないんですよー。だから、この辺の人はみんな、瀬戸電って言ってますね(笑)」

「瀬戸電」じゃねーよ知るかよwwwww


そんなわけで栄まで出てから、瀬戸電。

普通電車で30分ほど揺られた後、三郷駅からギャラリーまで徒歩25分。


徒歩25分。


それはもはや徒歩で行くところとしてはどうなんだろうと思いながらも、バスなんかもなさそうなので歩き始める。
しかし、23日はちょうど超寒波がきてて、もはや笑えてくるくらいの、アホかオマエって無駄に誰かに突っ込みたくなるくらいの寒さで、おまけに向かい風。
道中、歩行者も自転車も見かけない。人気のない大通りをただひたすら、手荷物を風にたなびかせながら歩く。

なんとかギャラリーに到着。


「日本」というテーマを、90人もの人間がいったいどんな風にとらえるのか、とても楽しみだったのですが、やはり十人十色、いや、90人90色w

「いろはうた」とか、誰かとかぶるかなーとか思ったりもしましたがそんなこともなく。

ただ、日の丸や、着物、原発事故をイメージとした作品が多いのかな、というのは印象にありました。

そんな中で、わたしの中で「コレは・・!」っていう作品はなかったのであまり語ることはできませんが
見ごたえのあるとても楽しいグループ展でした!来年もぜひ参加して、入賞狙いたいと思います!ぬおぉ!


ギャラリーの帰り、またあの道のりを寒空の下歩かねばならんのか・・と思いつつ重い腰をあげたところで、なんともタイミングよく、ギャラリーのオーナーの奥様に来るまで駅まで送ってもらえることに!笑

行きしな、「あわよくば車でギャラリーに来た人に、帰り便乗して乗せてもらえないだろうか」なんて考えをしていたら、ほんとに乗せてもらえることになって、めちゃくちゃありがたかったです!ありがとうございました!!!


ってなところで、ようやく2011年のビックイベントその1を書き終えたわけですが


気づいたら年が変わっていました 笑


おかげさまでおせちは準備できましたー!
ああ疲れた・・8時間くらい料理しました。もう・・もういいよ・・っ

でも、手作りのごまめがめちゃくちゃおいしくてほくほく。

つきたて餅を冷凍する作業だけして、今日のところは休もうかと思います。



それでは皆様、2012年もどうぞよろしくお願い申し上げます(ぺこり

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プロフィール
HN:
izane
年齢:
36
HP:
性別:
女性
誕生日:
1988/07/07
職業:
会社員
趣味:
絵を描くこと
自己紹介:
絵描きを目指す社会人。
ギャラリー企画のグループ展にちょいちょい出展したり、音楽同人サークル「格納庫」にて、ジャケットなどのイラストを担当したりしている。
絵のお仕事・ご依頼あれば、無償でも承りますのでよろしくお願いします!
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