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izaneの運営するイラストサイトDream*Dropsのブログ。Dream*Drops*Diary、略してD*D*D。サークル情報、参加イベント情報、ギャラリー出展情報などを宣伝するところ。普通の日記もある、かも、ね。
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昨日、「人生とお薬とシモネタについて語る会」と称した飲み会があった。
高専時代の友人ら3人とわたしと。


わたしの結婚式以来に集結したメンバーだった。
だいたいの話は、学生時代の思い出話と、今誰がどうなっただのという話で始まり

結局「お薬」についてはあまり語られなかった。(単に、4人のうち2人が製薬会社に努めてて仕事の話をしたかっただけらしい)

「シモネタ」については、まぁ、何も言うまい。酒の場である。

「人生」については色々と語った。
人生、というか、「幸せ」と「生きる意味」だ。

4人の中で、特にわたしともう一人が熱く語り合った。
お酒が入っていたから、半ば適当な受け答えもしたかもしれない。

ただ、少し書き記しておきたかったのでここに書く。



「何のために生きているのか」

という問いに対して、だいたいの人は「幸せになるため」と答えるか、「生きている目的なんてないのだ」と答える。少なくとも私の周りの人間はそうだった。

私はキリスト教派の意見をもっている(カトリックやプロテスタントではないが)

熱く語り合った相手Jは、自らを「仏教者」と呼んでいた。仏教徒ではないが、文学的に仏教が一番理解できるとかなんとか、言っていた。

Jが言った話の中で、非常に理解できる点が一つあった。

「自分で自らに価値をつけずに、何かに評価を求めてそれを自らに付随させることで価値を見出している人は、悲しい」

これは全くその通りである。
奇しくも私は十代の頃はがり勉のがっちがちの真面目っ子だったので、その「悲しい」人間だったのだが、今は「人生超楽しー!」なよくも悪くもパッパラパーな人間になったので、本当にそう思った。


自分に価値がないと思い込む。
何かに価値を求める。
何かとは、「学歴」や「名誉」だ。

勉強が嫌いなのに、学校が嫌いなのに、実験が嫌いなのに、わざわざ大学院まで言ってストレスを溜め込んでる人がいる。日本トップ3の国立大学の大学院を卒業すれば、「○○大卒」ということにしがみついて、それを自分の価値とする。自分に価値がついたことに安心する。
しかし、その先のビジョンは特にない。良い大学院を出たら、それなりの会社に行けるだろう。だが、それは自分がしたいことではない。したいことでもないのに、おまけにストレスしかたまらないのに、「今○○の件を任されてるから」とか、そのうち「後輩や部下がいるから簡単には辞められないよ」とかいって、ずるずる仕事をする。世界という広い視野で見たら何の役にもなっていない、会社の中でさえただのコマにすぎない。それでも、自らに価値をつくるために頑張る人は、悲しいかな、いるのだ。

わたしもそうだった。
あまりにも無価値な人間に思えてしょうがなくて、教科書を理解する程度には頭はあったから、バカみたいに勉強して、クラストップになって、「すごいね」「頭いいね」「勉強教えてよ」って言われることで自らの存在を作っていた頃があった。
もっと遊べばよかったのに、まるごと背負い込んで処理しようとするから、非効率で、いくら成績が良くてもそういう人間はバカだと思う。

成績がいいからなんなんだと。
いいとこの大学卒業したからなんなんだと。
楽しくもないのに、たいした役にもたたないのに、任された仕事があるからってだけで仕事を続けて何になるんだと。


もちろん、何も悪いことではない。
ある程度社会人として会社で責任を果たすのは当たり前だし、良い大学出れたらそれに越したことはないし、成績が良いのが悪いとは言わない。

ただ、それがどうした、と。


Jは、自分のしたいことをして生きている。今もこの先も自分の好きなように生きようとしている。一度限りの人生、楽しくなくてどうする。自分の価値は自分でつける。何かに価値は求めない。自分のはかりで生きていく。

「幸せになるために生きている」という人でも、Jくらい潔く生きている人は少ないと思う。


私は、高専4年の後半から、いいかげんがり勉だけではやってけないくらい授業にいささかついていけなくなり、ぷつーんと何かが切れて、そこから真面目キャラは捨てた。それでも、その歳まで真面目で生きてきたわたしは、気楽に生きれるようになった反面、何のために生きてるのかをなおさら考えずにはおれなくなった。

しかし、去年のちょうど今頃、私はキリスト教に出会ってしまい、考え方が一変して、生きてる意味も幸せもどう生きるかも見つかった。


その前に、Jの考えを書こう。

人間一人一人に価値などない。自分の価値は自分でつけるもの。人類やこの世の始まりなんていうのは考えるものでもなく、ただただ偶然できあがったものであり、神でも科学でも説明できなくて結構。今を楽しく生きる。人生は一度きり。


対する私はこうだ。

私の考えは、どうしても信仰というものが入ってくるので、無宗教の人には理解しがたいと思うが(私も、キリスト教に出会い初めは半信半疑だった)
私自身は人間一人一人に価値はないと思うが、神は平等に人間を大切だと思っていらっしゃる。この世の始まりは神(まず、なぜ宇宙、地球、人類ができたのかと考えないでいられるのか。人間一人一人の人生とは何かを考えるのと同じくらい、この世界の始まりについても考えるべきだと思う)神に近づき、神に祈ることで、全ての人が幸せになる。いつかかならず楽園がおとずれる。その楽園で、人々は復活する。

そもそもわたしがキリスト教を本格的に支持しようと思ったのは、
人間一人一人はどう考えても無価値であり、たとえ誰かの命の恩人になったところで、例え、世界的に有名なミュージシャンが世界の何千人かの心を癒したところで、超金持ちが被災地に膨大な資金をあげてみせたところで、世界の全人口を物質的にも精神的にも幸せにすることなんてできない、と思ったところからはじまる。
でも、誰でも、精神のいかれてる人や凶悪犯でもないかぎり、大体の人が、「世界中が平和になりますように」と言ってるものなのだ。平和を祈らなくても、「ああ、あの被災地の人たちはかわいそうだな」とか思ったりしてるもんなのだ。なんの寄付もしていなくても。

そんなとき、

「あぁ、もうこれはこの世を造った神に祈るしかない」

と私は思ったのだ。

今は悪い世の中だけれど、必ず良い世界に、アダムとイブが作られたときのようなエデンの園のような世界にもう一度ならせると神がいうのなら、今生きてる人々は、その世界がくるように祈るしかないのだ。

もちろん、ただ祈るだけではだめだ。どのように生きていくべきかは、聖書に書かれていて、それに従って生き、祈らなくてはいけない。
とても宗教くさく聞こえて、宗教嫌いな人にはとてもじゃないけどうけいれられないだろうけど、ともかく、私の考える人の生きる意味は「祈ること」なのだ。

わたしは、自分が満足に生きれただけで、それが人生だとは理解できなかった。

「幸せになるために生きるんだ」と言われても、わたしが幸せになったところで、人間としての生きる意味は何なのかと言いたくなるのだ。

おまけに、そのセリフは、ある程度生活が満たされている人が言えるもんだとおもう。

飢餓や疫病に苦しんでいる、アフリカの貧しい人たちに対して、「幸せになるために生きるんですよ」って、言えるか?

なにも私は、善人ぶるつもりはない。むしろ、どこにも寄付なんぞせずに、とても自己中に「私毎日超楽しい!」って言って生きてる人間だ。「今月給料少なくてさー」とか言いながらも、十分毎日パソコンしたりごはん食べたり絵を描いたり服を買ったりできる生活をしている。

しかしだ。「幸せになるために生きる」というのが、世界中の人々の生きる目的にはなりえないと言いたいのだ。

だから私は、生きている理由がわからなかった。
比較的平和な日本で平々凡々生きているだけで、その目的がわからなかった。

「祈ること」は、世界中のあらゆる人ができることだ。

生きる目的は、「この世が再び楽園となるように、全ての人々が平和に安心して生きることができるように、祈ること。そして、それがどんだけ重要なことかを、できるだけ多くの人にふれ告げること」だ。



Jは言った。
キリスト教は、神に救済を求めている。仏教は、自分で自分を救済する。


確かに救済を求めている。一日も早くこの悪い世界が終わって平和がおとずれますようにと祈っている。
しかし、自分一人の平和を神に求めているわけではない。


仏教とキリスト教では、根本的に考え方が違うので理解し得ない部分は大きいと思う。

ただ、そういう考え方でしか、「生きる意味」についての答えはでないと思う。

そうそう、Jは「答えなんてない」とも言ったっけ。


私は言いたい。「答えはある。人間がそれに気づいていないだけで、出会っていないだけで、答えはある」


まぁ、だからと言って、私は聖書に従って毎日完璧に生きてるわけではないけれど。
そんな大口たたけるだけの知識も何もないけれど。

ものすごいだらだらと無駄なことを書いただけかもしれないけれど。

そしてJさん、Jさんの意見を私が聞き間違えて書いていたらすみません、訂正してください。



ただ、どうしても言いたかったのです。

「何のために生きているのか」

それを考えて、考えて、考えて、何かを見つけてほしい。全ての人に。
広い視野で、考えてみてほしい。

何かみつけた答えが神の言葉であればこの上ないけれど。

私の意見が違うというなら、どうか私に教えてください。生きる意味。
私は見つけたつもりでこれから生きていくけれど、正しいかどうかなんて結局は誰にもわからないことであって、神がいるかいないかを、目で確認することはできないから、どれほど聖書が科学的にも正しくてつじつまが合っていようと、何かをたたきつけて「ほらね!」って言うことはできないことで、信仰ってものに依存しちゃうから


ただ、私の考えを言いたかった。

いろいろと、頭の中を整理したかった。

ただ、わたしは、生きる目的を持って、生きていきたいだけなのです。

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リアルにうつ病の影がちらつく中、何とか生きております。izaneです。

「小さな動物園」、Open期間2週間は短すぎますね!あーっと言う間に終わってしまいました。

わたしの作品、実はキリスト教聖書にあるとある予言の聖句からイメージして描いたものでした。だれかわかった人いるかしら?笑


次に出展させていただくのは、名古屋にあるギャラリーイントラート様にて、「呼吸展」です。グループ展。
イントラートさんでの出展は4回目となります。
「出口と入口」「ある僕の矛盾」「白」そして今回の「呼吸」ですが、いつもながらイントラートさんの決めるテーマは哲学的で、表現の仕方以前に、テーマのとらえ方も非常に人それぞれになるので、描いて楽しい見て楽しい、というグループ展です。

「出口と入口」「ある僕の矛盾」では、過去のトラウマに悩まされ描いた、陰湿~な絵を描いてしまいましたが、昨年冬頃からがらりと自身の中でのテーマが変わりまして・・

これまでは、≪感情≫というものを絵で表現したいと思っていました。だから、憎しみや悲しみに満ちた作品でも、それは自分にとって価値があると思っていました。

その気持ち自体は今でも変わることはないのですが、その、あまりにも自分の内面にのめりこみすぎた作品ではなく、もっともっと、すべての人の人生に希望を与える作品を描きたいな、と思うようになりました。

そこでわたしは聖書を開きました。
信仰という意識が入ってくるので、宗教が嫌いな人は受け入れられないかもしれませんが、ある種の新しい宗教画を描くことで、福音を絵で人々に、そして何より神を賛美するという行為をしたいなと、思ったわけでありまして。

「白」展では、祈りのときの清らかな心を描いてみました。
神の愛に感謝した祈り、祈ることが許されているという祈り。

先日の「小さな動物園」では、イザヤ書11章にある、「全ての動物(野獣も弱いものも)は全てともに暮らす」という楽園の予言を描きました。


そして今回の「呼吸」

人間やその他の動物の呼吸と、植物の呼吸。その見事なまでの環境のバランス。あまりに当たり前に受け止めていた事柄。科学。しかしそれはただの偶然によって出来上がったものでしょうか。
偶然の偶然の偶然、何万分の一、何億分の一、きわめてわずかな偶然で、できあがった世界だろうか?
そう考えたときに、聖書には、「全てのものは神が造った」とあるのです。

たぶん、キリスト教に身近ではない人には、「は?何を言ってんの」と言われてもしかたないことでしょう。
わたしもつい数ヶ月前まではそうだった。人はサルの進化形だ、海ができてその中のバクテリアから全ては始まった、と。
そりゃあそうだ。生まれてきてずーっとそう教えられるともなく教えられてきた。あたりまえの考えとして培ってきたことを、いきなり考えを改めることなんて不可能だ。

けれど、聖書を知ってしまった今、わたしは聖書が正しいものとして捉えたいと思っている。その教えが広まれば良いと思っている。だから描く。神を賛美して、わたしはそのすばらしいバランスを造られたことに感謝して、恐れて、描く。


なんだか熱く語ってしまいました。思想論はひとそれぞれだから、さらっと聞き流してください 笑

とりあえず製作途中。




いい感じに進んでます。
描き方も、1年前とずいぶん変わったと思います。いいほうへ。
漫画みたいなイラストタッチの人物画から、リアルな模写よりの絵に一歩近づいたと思う。そう、こういうタッチで描きたかった。でも、うまく描けなくて避けてたけれど、ちゃんと写真を見て描けば、描けるもんだと気づいた。
作品にこめる思いも大事だけれど、もっともっと画力を上げなくっちゃあね・・!


「呼吸展」は今月20日から4月1日まで、名古屋のギャラリーイントラートさんにて開催です!
お近くの方、また旅行や出張で名古屋にお立ち寄りの際は、ふらっと寄り道してってください!


「呼吸展」
会期:3/20-4/1(月曜休)
時間:13:00-20:00(最終日は18:00閉廊)

Gallery Introart
場所:名古屋市東区東桜1-10-29パークサイドビル9F
(地下鉄栄駅・久屋大通駅 7A出口出てすぐ!)
URL:http://www.intro-art.com

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お久しぶりです、今年一発目の出展情報です!


・・なんですが、ちょっとウツになっちまいまして、今現在もひぃこら言ってます・・ごふぅ・・


もっと沢山作品作って飾らせてもらおうと思ってたのですが、結局ひとつしか出展できませんでしたが、なかなかお気に入りの一枚ができました。


イザヤ書

イザヤ書

今回は可愛らしいタッチで。


ギャラリーを小さな動物で埋め尽くそう!って感じのグループ展で、イラストからオブジェから写真まで、いろいろな動物の作品がそろっていておもしろそうですよ!(搬入時にフライングしました 笑


わたしの右隣の小さな不思議な動物の作品がわたしの好みです。
お名前誰だったかしら・・また確認しなくっちゃ。



22tu-tu gallery
(URL:http://22tu-tu.com/)

会期:2012年2月20日~3月4日
時間:13:00~20:00(最終日~18:00)
休廊日:火曜・水曜


本日よりはじまりました。2週間の展示です!

本町駅よりスグ。心斎橋筋商店街の一つ横の筋にあるギャラリーです。
お買い物のついでにふらりと立ち寄ってみてはいかがでしょうかー!

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辰子さん


辰子さん「わたしの年が来たようね・・・ところでチキンタツタがレギュラーメニューになるのはいつなの?」


辰子さんの好物は竜田揚げ。

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出口入口


1年前の作品が出てきました。

っていうか、ずーーっとupするの怠ってただけなのだけども。


昨年3月、ギャラリーイントラート様でのグループ展「出口と入口」に出展させていただいたもの。

「出口のない入口を恨みながら」というのが作品名。




ずっとずーっと、過去のある記憶に囚われていたんです。
かれこれ10年前のことになりますが。
・・もうそんなに経つんだなぁ。

とてもとても好きな人がおりました。
憎いほどに愛していました。
殺したいほど憎んでいました。

その呪縛は、もはやその相手との接点がなくなり、自分は好きな人と結婚をしてもなお、消えることなく、ぐずぐずと心が腐っているような感情で

何度も何度も出口を探しては見つからなくて

そんな気持ちになった、始まりという入口は確かにあったはずなのに、いくら状況が変わってもその感情の終わりだけは見つからない

「出口と入口」というコンセプトで、そんな自分の現状があてはまって、描いた作品。



久しぶりにこの作品を見つけてきて、自分で見てぞっとした。

12月に描いた、「いろはうた」や「祈り」と全然違うの。
まず、色彩が。毒々しいほどの鮮やかさで描かれたこの作品に対して、12月に書いたのはどちらも淡い色彩。

苦悩の瞳に対して、穏やかな瞳。

そして、込めた感情の違い。

何年も抱いてる悶々とした恨みつらみに対して、明るい未来、幸福な現在の瞬間を描いたのが12月



昨年は、大きな感情の変化がありました。

10年前、私は本気で、人を殺そうとして、そして、本気で自殺を考えていて

でも愛してた。どうしても殺したくなかった。幸せでいてほしかった。わたしは悪魔に祈った。わたしを殺して彼女を幸せにしてくれと。

わたしは死ななかった。
わたしは彼女から離れるしかなかった。

彼女の全てを避けた。
それでも消えることのない感情に、何度も死にたくなった。
死にたいと思うことが基本になった。
生きたいと思わなくなった。
楽しくても、死ぬのが怖くても、生きていたくなかった。

そんなわたしが

初めて神に祈ったのでした。
過去の記憶を無理に忘れるのではなく
楽しいことでかき消してくれる友人に出会って
楽しくて楽しくて
生きていたくなって
死にたくなくて
神に祈ったら

わたしは生きていて
生きてることがこんなに素敵なことなのかとようやっと気づいて


そうして、描いたのが、「祈り」

祈り


昨年12月、ギャラリーイントラート様グループ展「白展」に出展したもの。

清らかな白。
心が洗われる白。
祈りという白。


毒々しい色は消えて
白になる。





悪魔に祈ったあの時

神に祈っていたら、もっと早く、幸せになってただろうか



辛かった。
最近幸せすぎて忘れていたけど、絵を見て思い出した。

こんなにも痛かったんだ。こんなにも辛かったんだ。こんなにも悲しかったんだ。こんなにも切なかったんだ。惨めだったんだ。苦しかったんだ。

開放されたかった。


彼女が今幸せかどうかは知らない。連絡をとっていないし、とりようがなくなったから。

どうか幸せであってほしい
今でもそう思う

ただ、その他大勢の人と同じように


世界中の人が、世界中の平和を祈るのと同じように。





今年は、昨年にまして、幸せたっぷりの作品をたくさんたくさん作りたいと思います!


実在の神に感謝を。

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プロフィール
HN:
izane
年齢:
36
HP:
性別:
女性
誕生日:
1988/07/07
職業:
会社員
趣味:
絵を描くこと
自己紹介:
絵描きを目指す社会人。
ギャラリー企画のグループ展にちょいちょい出展したり、音楽同人サークル「格納庫」にて、ジャケットなどのイラストを担当したりしている。
絵のお仕事・ご依頼あれば、無償でも承りますのでよろしくお願いします!
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